豊臣秀吉が小田原合戦の本営とした城の跡地。山頂の林の中に堀や櫓の骨組みを造り、白紙を貼って白壁のように見せかけ、完成すると周囲の樹々を伐採。それを見た小田原城の兵が一夜のうちに城が出現したと思ったという伝承から、「石垣山一夜城」の名がついたそうです。