東西の見沼代用水と芝川は3mの水位の差があったため、東西2ヵ所ずつ閘門(水位差の大きいところに関をつくって水位を調整し、船を通す施設のこと)を設け、水位を調整して船を通しました。これが見沼通船堀の最大の特徴です。
見沼通船堀の開通により、見沼と江戸との舟運が可能となり、見沼で収穫した米や籾などが江戸に運ばれ、江戸からは肥料や油、日用品などが運ばれました。昭和初期にはその役割を終えましたが、日本有数の古さであり、江戸時代中期の土木技術の高さと流通経済を知る上で貴重な史跡として、昭和57年に国指定史跡となりました。