岩槻の人形づくりの歴史は、日光東照宮の造営と深いかかわりがあります。日光東照宮の造営にあたって全国から集められた東照宮に携わった工匠たちの中にはこの土地に住み着いた者も多く、その人々が付近に数多く植えられている桐を使って箪笥などの製品や人形を作り、その技術を広めたといわれています。岩槻周辺は桐の産地だったので原料の桐粉が豊富で,人形頭の塗装に使用する胡粉の溶解、発色をよくするために重要な水にも恵まれていました。
こうして恵信の残した桐塑頭の技法は、藩の武士や農家の人々の内職・趣味・兼業等によってその後も受継がれています。現在、「江戸木目込人形」・「岩槻人形」が経済産業大臣から伝統的工芸品として指定され、生産量・生産額とも日本一の人形のまちとなっています。