映画「峠 最後のサムライ」 ロケ地を巡る旅 第一回 【河井継之助記念館】

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画像提供:長岡観光コンベンション協会

幕末の英雄 河井継之助

時は幕末、越後長岡藩に後に「最後のサムライ」と呼ばれた人物がいました。
その名は「河井継之助」
幕府軍にも官軍にも属さず、小藩・越後長岡藩の中立・独立を目指した男が河井継之介です。
そんな彼をテーマにした映画「峠 最後のサムライ」がいよいよ公開され、地元長岡は大盛り上がり!
駅たびコンシェルジュ新潟の編集部では大盛り上がりの映画公開を記念し、ロケ地を巡る旅を全4回でお届けします!
第一回目は主人公「河井継之助」を巡る旅です。

河井継之助ってどんな人??

画像提供:公益社団法人新潟県観光協会

1827年、継之助は長岡藩の上級武士の長男として生まれました。
剣術や学問に励み、1852年、25歳で江戸に出て佐久間象山(さくましょうざん)の下で蘭学や砲術を学びます。
長岡藩に戻り、39歳のときに郡奉行となると、庶民の暮らしが豊かになるよう、財政立て直しなど藩政改革に努めます。
1868年(41歳のとき)に起こった戊辰戦争では、新政府軍と旧幕府軍とのどちらにも付かない長岡藩の「中立(ちゅうりつ)」の立場を明らかにします。
そして、戦争を避けるため、両者を和解させようと訴え続けます。
しかし、長岡藩の立場は新政府に聞き入れられず、やむなく旧幕府軍として「奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)」を組んで北越戦争に参戦することになりました。
長岡周辺の地も戦乱に巻き込まれ、新政府軍に敗北しました。

河井継之助をもっと知りたい方はこちら!~河井継之助記念館~

画像提供:長岡観光コンベンション協会
河井継之助をより詳しく知るにはここ「河井継之助記念館」に来るのが一番!
この記念館は河井継之助邸跡地に建てられており、河井継之助ファンにとって魅力的な展示物がたくさんあります。

展示物以外もご注目!!

画像提供:長岡観光コンベンション協会

記念館の中の展示品ももちろんですが、記念館から見えるこの庭。この庭は継之助のお屋敷があった当時から庭として使われていました。

画像提供:長岡観光コンベンション協会

そして、この庭の隅にある、ごく普通の石灯篭はお屋敷があった当時から同じ位置に置かれ、激動の時代を見つめてきた石灯篭なんです。凄いと思いませんか??
記念館を訪れた際には展示物だけでなくお庭にも是非ご注目ください!

長岡城の歴史も垣間見れます!

画像提供:長岡観光コンベンション協会
画像提供:長岡観光コンベンション協会
あまり知られていないのですが、河井継之助記念館の裏に公園があります。ここは「長岡城之面影」ということで、今はなんの面影すら残っていない長岡城(今の長岡駅の位置に長岡城の本丸がありました。)についての展示があります。順番に読んでいくと、長岡城の形状だけでなく、当時の長岡藩士達の年間行事や暮らしぶりがわかる展示になっています。お時間に余裕があるようでしたら是非こちらにもお立ち寄りください。

歴史を堪能した後は…

画像提供:公益社団法人新潟県観光協会
歴史を堪能した後は、ご当地グルメに舌鼓!
というわけで、駅たびコンシェルジュ新潟の編集部オススメの長岡グルメは「洋風カツ丼」!
ごはんの上に豚カツ、その上にトロッとした洋風のソースがかかっている、新潟県長岡市のソウルフード!ソースはケチャップベースだったり、デミグラスだったり、付け合わせの野菜も店ごとに多種多様。「丼」と言いつつお皿に盛られているのも特徴で、個性あふれる洋風カツ丼が、長岡市内の食堂、ラーメン屋、居酒屋などで提供されています。
昭和6年創業の「小松パーラー」が発祥。同店は、残念ながら数年前にご主人がご逝去とともに廃業となってしまったが、そのレシピは受け継がれ、ほぼ近いかたちで市内20数軒のお店で提供されています。
「洋風カツ丼」提供店は“のぼり旗”が目印!
ぜひご賞味ください!!

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画像提供:JR東日本
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詳しくはJR東日本のホームページをご覧ください。
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