大蔵大臣、15代目の日本銀行総裁などを歴任した結城豊太郎は、酒造業を営む今の南陽市赤湯の結城家に生まれました。生来才気に溢れ旧山形中、旧制二高、東京帝国大学へと進み、いずれも無試験進学の成績抜群ぶりでありました。政界にあっては国内有数の読書家として知られ財政経済金融や文学・歴史などに興味は及んでいたとのことです。日本銀行の総裁の折には赤湯に上水道の敷設、郷学の風也塾を開設、横浜の書屋を移築した臨雲文庫を開設するなど故郷を愛し続けていました。その内の純和風の図書館である臨雲文庫を1967年より結城豊太郎記念館として改称しました。赤湯の誇りとも言える結城豊太郎の数々の遺品や文化財などが展示されています。