創建は1120年、武人との繋がり厚く、奥州藤原氏攻めの際にこの杜の霊験あらたかなものを感じ、奥州の仕置きの後、再度詣でられたとのことです。また、奥州探題の伊達晴宗は熊野本宮本殿屋根葺替やお神輿、神馬、馬具等が奉納された他、仙台藩からは毎年玄米3石5斗を拝領するなど、手厚い保護がなされていました。山伏から伝えられたという、五穀豊穣を祈念する熊野堂十二神鹿踊が世襲制で引き継がれ、4月の春例祭、10月の秋例祭で披露され市の無形民俗文化財に指定されています。
***全国で3000社以上ある熊野神社のうち、東北地方には700社ほど存在しています。その東北地方のなかでも熊野信仰の中心的存在にあったのが名取熊野三社で、仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に見立て、熊野本宮社・速玉大社・那智大社の三社をそれぞれ別に勧請しています。このような地理的に・方角を見立てて別々に勧請しているのは大変に珍しく全国でもここ名取だけと言われています。