2023年は青函トンネル開業35周年! 世紀の偉業に触れてみませんか【北海道 福島町青函トンネル記念館】

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2つのトンネル型の筒が並んだ外観

20年以上もの歳月をかけた一大国家プロジェクト「青函トンネル」

以前、*andtrip.で青函連絡船についてご紹介しましたが、今回は物流や人流といった役割を青函連絡船に替わって引き継ぐことになった、青函トンネルについてご紹介します。
現在、新青森から新函館北斗までは、約1時間ほどで新幹線が駆け抜けますが、それを可能にした青函トンネルは総延長53.85km、そのうち海底部は23.30km、その工事は世紀の大事業と言われています。

海難事故を機に高まったトンネル建設の声

青函トンネル海底ボーリング調査を行った、くろしお2号
本州と北海道を結ぶ、トンネルの構想が最初に記されたのは、1923年(大正12年)函館市議会議員による著書と言われています。
その後、予定線として地質調査などが少しずつ進んでいましたが、本格的に青函トンネル建設計画が進むことになったのは、1954年(昭和29年)9月26日に発生した、青函連絡船「洞爺丸」の事故でした。
台風15号により、「洞爺丸」のほか4隻の連絡船が遭難し1400名を超える犠牲者を出したことは、天候に左右されない、安全なトンネルの建設の声が高まる大きな転機となりました。

そして本格的な着工

トンネルボーリングマシーン(トンネル掘削機)
こうして、1964年(昭和39年)北海道側吉岡調査斜坑の着工にこぎつけました。それから多くの困難を乗り越え、1985年(昭和60年)実際に列車が通る本坑が貫通し、3年後の1988年(昭和63年)3月13日、ついに青函トンネルは開通し、函館と青森間の営業運転が始まりました。「青函トンネル記念館」のある北海道福島町は、青函トンネルの北海道側の工事の拠点となった町です。記念館では、工事の際実際に使われた掘削機を見ることができ、また青函トンネルが開通するまでの工事の記録を、パネルや映像を通して知ることができます。

青函トンネルメモリアルパークにも足を延ばしてみませんか

青函トンネルメモリアルパーク 青函隧道記念碑
青函トンネル記念館から、車で10分程の高台には「青函トンネルメモリアルパーク」があり、トンネルの完成を記念した石碑や、青函連絡船洞爺丸沈没の知らせを聞いた天皇陛下の詠まれた歌碑などが建っています。晴れていれば津軽海峡を見渡すことができるこの公園の周辺は、トンネル工事の際には、工事に携わる人々の宿舎が立ち並び、とても活気があったそうです。今は静かに時間が流れるこの場所に立って、眼下に見える海の下にあるトンネルとその歴史を感じてみるのはいかがでしょうか。
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