【お吉祭りで下田芸者に会いました】~20代女子の気ままに下田ライフ⑤~

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下田芸者桝家
毎年3月27日に行われる「お吉祭り」に参加してきました。
お吉祭りは、桜のもとで行われる幕末の悲劇のヒロイン・お吉の供養祭です。
お吉の無念の涙雨で、毎年雨が降ると言われていますが、今年はぽかぽかと春陽気の中行われました。

幕末の悲劇のヒロイン・お吉

お吉の肖像画

開国の地として有名な下田で、お吉は日本の外交のため米国の初代総領事・ハリスに17歳という若さで仕え、開国に貢献しました。
下田に駐在をしていたハリスが病に倒れたため、奉行所の命で看護婦の代わりにハリスの世話役を務めましたが、お吉に腫れ物ができていたことを理由に三晩で解雇されてしまいます。以後、周囲からは「異人と交わった」という偏見から「唐人お吉」と差別され、仕事も立ち行かなくなります。
一度下田を出て、横浜で大工・鶴松と同棲後、下田に戻って髪結や小料理屋経営(現在の安直楼)などを経営しますが、上手くいかず不遇の晩年を送ります。
1891年(明治24年)3月27日に、お吉は我が身の苦悩に耐えかね50歳で稲生沢川に自ら身を投げて生涯を閉じました。
このお吉のエピソードは多くの歌や文学、演劇の題材となり、後世に広く伝えられています。

お吉が淵での献花

お吉のご遺体が見つかったとされる、お吉が淵。
下田芸者や市の関係者が一列に並び、一斉に池に花を捧げました。
最後は代表の下田芸者2名が、お吉と恋人の鶴松に見立てた2匹のコイを放ちました。
お吉と鶴松に見たてた2匹のコイ(写真提供:写真家・岩崎努)
お吉が淵での献花(写真提供:写真家・岩崎努)

宝福寺での法要

お吉のお墓がある「宝福寺」に移動し、お墓の前で献花、焼香を行います。
下田市長からは「お吉さんをはじめ、大切な幕末の歴史を下田の発展に繋げていくと誓います」とご挨拶がありました。
献花をする下田芸者

下田芸者の「お吉踊り」

法要の後は、宝福寺のお堂にて「下田芸者 桝家」による、「お吉踊り」が披露されました。三味線と歌に合わせて、芸者がゆったりと踊る姿に、観客はカメラを向け見入っていました。
「下田芸者 桝家」による「お吉踊り」

下田芸者の歴史

下田港は江戸時代より日本全国から船が集まり、寄港地として栄えました。下田芸者の始まりは、日ごろからお稽古をしている町人の娘がお役人や商人の大切なお席でお座敷に上がり、おもてなしをしたことだと言われています。
寄港地として栄えた「下田港」

下田芸者とお座敷体験

そんな下田芸者と、江戸時代から伝わるお座敷遊びを一緒に楽しんでみませんか?お座敷の礼儀作法を教えていただき、気分は芸者。「和の楽しさ」「日本人としてのDNA」を感じて、タイムスリップしてみましょう。

体験は、普段下田芸者たちがお稽古をしている「旧澤村邸」で行われます。「下田芸者 桝谷」の皆さんが着物でお出迎え
下田芸者のお稽古場「旧澤村邸」
芸者と自己紹介タイム。芸者はなかなか会う機会がなく、敷居が高いイメージですが、みなさん明るくてとってもフレンドリー。普段のお稽古や美の秘訣など、いろいろ聞いてみましょう。下田の伝統踊り「下田節」も披露してくれます。
フレンドリーな「下田芸者」

お座敷作法のレッスン

お辞儀の仕方、扇子の扱い方など、普段なかなか教わることがない「日本舞踊」のお作法を芸者から直接ご指導。めったにない機会なので、芸者気分になって楽しみましょう。
芸事のご指導
下田芸者 桝家・奈美さん
下田生まれの「下田芸者 桝家」の発起人・奈美さんは、芸者歴20年以上。奈美さんが幼い頃は近所から、三味線の音や芸者が下駄で町を歩く音が良く聞こえていたそうです。
時代の流れと共に段々芸者の数が減っていくことに寂しさを覚えて、自分が芸者になることを決意。
「和は楽しい!という、日本人に刻まれたDNAを多くの方に感じて欲しい」との思いで、下田芸者の活動をされています。

芸者の楽しみ方はさまざま。
お座敷に芸者を呼ぶのも良し。
芸者と一緒にお座敷体験もするのも良し。

一緒に「和」になって踊りましょう!

旧澤村邸

下田芸者お稽古体験のお問い合わせ先

下田芸者 桝家

TEL : 090-7912-4984
Instagram : https://www.instagram.com/shimoda_geisha/
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