上野駅さんぽ・その5 美しすぎる邸宅。明治期のレトロ建築【旧岩崎邸庭園】

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旧岩崎邸庭園・洋館(北側)
不忍池のほど近くに佇む旧岩崎邸庭園。三菱財閥3代目社長、岩崎久彌(いわさきひさや)の本邸として明治時代に建てられました。こんな立派な建物が自宅だなんてビックリですよね。
当時は、現在の3倍ほどになる約1万5,000坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいたというのだからさらに驚きです。現存するのは、洋館、撞球室(ビリヤード場)、和館大広間の3棟のみ。これらは国の重要文化財に指定されています。
旧岩崎邸庭園・洋館(北側)

それでは建物の中へご案内いたしましょう!

洋館

洋館の設計は鹿鳴館を手がけたことで有名なジョサイア・コンドル。17世紀の英国ジャコビアン様式を基調としつつ、イギリス・ルネサンス様式やイスラム風のデザインなどが織り混ぜられています。洋館は、主に社交の場として利用されていたようです。
洋館1階/館内は靴を脱いで見学するスタイル。靴下の着用をお忘れなく。
洋館1階/大階段。地下に続く螺旋階段は立入禁止になっています。どこに続いているのかは記事後半に。
洋館2階/ベランダからは芝庭が望めます。
洋館2階/客室(手前)と淡いピンク色が美しい婦人客室(奥)。客室の豪華な壁紙、金唐革紙(きんからかわし)に目を奪われます。

和館

洋館1階からは和館へと繋がっています。完成当時は建坪550坪に及び、洋館を遥かにしのぐ規模だったそうですが、現在は書院造りを基調とした大広間の1棟のみ。部材のひとつひとつに、現在では手に入りづらい貴重な木材が使用されています。
こちらの和館は岩崎家の日常生活の場となっていたようです。
和館/建物の周りは日本庭園になっており、手水鉢や庭石が見られます。この先に近代庭園芝庭が広がっているとは・・・麗しき和洋のコラボレーション!
和館/ふすまの引手が「菱」のデザイン!ほかにも様々な所に「菱型」が見られますので皆さんも探してみてくださいね。

甘味処・おみやげ

和館には、お抹茶やあんみつなどが食べられる甘味処もあります。また、洋館の壁紙に使用されていた「金唐革紙」のしおりや、ポストカードなどお土産も売っていますよ。

撞球室(ビリヤード場)

こちらの撞球場もジョサイア・コンドルの設計。洋館から少し離れたところにあります。(和館から撞球室へ移動の際、靴に履きかえます)洋館の雰囲気とは違い、当時の日本では珍しいスイスの山小屋風のつくりとなっています。実はこの撞球室、先ほど紹介した洋館から地下通路でつながっているんです。部屋の内部には金唐革紙の壁紙が貼られているというのだから、ますます室内の様子を覗いてみたいものですね。
撞球室/当時、ビリヤードは紳士のたしなみごととされたそう。
撞球室/校倉造りの壁、刻みの入った柱、軒を深く差し出した大屋根など、アメリカの木造ゴシックを組むデザイン。建物の中には入れません。

岩崎家とゆかりのある小岩井農場

突然ですが、岩手県にある小岩井農場の名前の由来を知っていますか?実は「小岩井」は地名ではなく、創業者が関係しているのです。小岩井農場は、明治24年、小野義眞(日本鉄道会社副社長)・岩崎彌之助(三菱社社長。三菱の創業者である岩崎彌太郎の実弟)・井上勝(鉄道庁長官)の3名によってつくられました。創業者であるこの3名の名字から1文字ずつとって「小岩井」と名付けられたのです。その後、岩崎久彌によって農場は引き継がれ、近代日本の農牧業の発展に寄与しました。久彌は、毎年夏には家族と一緒に小岩井農場へ避暑に訪れていたそうです。130年余の歴史ある久彌の愛した小岩井農場。岩手県へ訪れた際は、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
(2022年6月7日撮影)
正門から入った坂のところにあじさいが咲いていました。曇りや雨の日が多いですが、屋内施設でゆっくり異国情緒を味わうのもいいですよね。上野駅からも歩いて12分ほどで行けるフォトジェニックスポット、旧岩崎邸庭園。建物内での撮影は平日のみ可能ですので、ご注意下さい。
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