埼玉・川口市発祥の地!本町・金山町界隈に面影を残す【川口宿】を散策

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川口市の総鎮守 川口神社
埼玉県南部のほぼ中央に位置する川口市。JR川口駅東口から徒歩約15分のところに旧川口宿(現在、本町1丁目周辺)が広がります。町の歴史は古く、鎌倉・江戸時代にまで遡り、旧川口宿の面影は今でも本町や金山町界隈に見ることができます。歴史好きにはたまらない、川口発祥の地「川口宿」を散歩してみませんか?

鎌倉・江戸時代の歴史からひも解く「川口宿」

川口の歴史は古く、鎌倉時代の文献にも名を残す地、鎌倉街道中道では、源義経が兵の数を改めたという逸話も残っているほど。江戸時代には、日光東照宮への参詣道である日光街道の脇道として日光御成道が整備され、江戸(日本橋)から約15kmの場所にある1番目の宿場町(岩淵宿と合わせて)として町が整えられました。
川口宿に見られる近代の町家建築

川口宿の面影を残す本町1・2丁目と金山町周辺

宿場は本陣、脇本陣、高札場を構え、荒川を渡るための船着き場(川口の渡し)や旅籠と共に、鋳物産業で栄えました。その範囲は、川口の渡しから北に約750m(七町半)、芝川に流れる水路の鎌倉橋から北端の錫杖寺の参道までの約500m。現在では、川口宿の面影は本町1丁目、2丁目、金山町で垣間見ることができます。荒川の舟運や陸路の日光御成道の川口の渡しは、旅人たちの往来を支え、善光寺の参詣と共に宿場町には多くの旅籠や商家が軒を連ね、賑わいを見せていたことでしょう。
川口町の面影を残す商店(看板建築)

川口宿の産業に貢献した「荒川」の舟運

川口の歴史を語る上で欠かせないのが、荒川の存在です。古くから交通の要衝であり、人や物資が行き交うことで、文化や鋳物産業が育まれました。舟運の発達は荒川の汽水域(秋ヶ瀬取水堰周辺まで)にも影響し、地の利も町の発展の理由の一つと言えます。また、荒川の舟運は川口宿の産業である鋳物産業に大きく関わりました。江戸時代から続く伝統技術は、近代に入りさらに発展し、川口は「鋳物の街」「キューポラの街」として全国に名を馳せました。昭和中期には、東京オリンピックの聖火台が製作されるなど、技術の高さがうかがえます。
土手から眺める荒川

川口宿の特徴「町割り」が残る街並み

江戸時代に由来をもつ川口宿は、町割(町の敷地の割り方)に特徴があります。沿道に面して建ち並ぶ町屋のみではなく、東西に入る路地で構成され、門と前庭を持つ屋敷建築も見られます。この町割をもとに、現在でも歴史的建造物が点在し、近代に建てられた出桁(柱や壁などの構造部材を支えるもの)を持つ町家建築や銅板で建物の外観を装飾した看板建築と共に、本陣跡や鋳物産業で繁栄した住宅建築(登録有形文化財に登録されている永瀬昌文家、永瀬孝男家、旧鍋平邸)が趣深く当時の記憶を伝えています。
国登録有形文化財の永瀬昌文家
川口宿の北端には真言宗の錫杖寺(しゃくじょうじ)があります。江戸時代の錫杖寺では、日光社参の往復路の休憩所として利用されました。その記録は、江戸時代の文書「享保日光社御参記」でも見られ、食事の献立や宴会の流れなどが詳細に記録されています。
徳川将軍家所縁の寺 宝珠山 錫杖寺(地蔵堂)

歴史好きにはたまらない埼玉県川口市

旧川口宿周辺には、歴史好きにはたまらないスポットが数多く存在します。川口の渡し、善光寺、錫杖寺と共に、近代の町家や住宅など、歴史的建造物や史跡を巡れば、川口の歴史と文化に触れることができるでしょう。埼玉県川口市に訪れてみませんか?
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